わたしが小学校低学年だった1970年代後半は、カラーテレビが各家庭に普及して久しく、夕食後は家族揃って歌番組やお笑い番組を観るなどのライフスタイルが流行した時代でした。
わたしはごく普通の一般庶民の家庭で育ちましたが、病弱だったことや、通学が面倒だと思うこともあり、学校を休んで家で過ごす時間がとても多い子供でした。家で何をするかというと、朝から昼までNHKの教育番組を観たり、本や漫画を読んだり、昼寝をしたりして過ごす訳です。
そんなわたしを心配してか、小学1年生のある日、父が「これからは英語くらいはできんといかん」と言って、英語教室に行くのはどうかと尋ねてきました。わたしは「英語ってなに?」くらいの認識しかありませんでしたが、父のいうことは絶対なので、母と見学に行くことになりました。
この英語教室がある町は、この辺りでは最も栄えた商業地域で、あらゆるお店がたくさん立ち並ぶ活気溢れるところでした。目当ての英語教室は、駅から徒歩5分の便利な立地で、賑やかな商店街の書店の二階にありました。書店に足を踏み入れた途端、わたしはこの英語教室に通おうと心に決めました。なぜなら、ここには子供用の本がたくさん並べてあったからです。少年少女向けの読本シリーズ、漫画歴史シリーズ、科学図鑑シリーズなど、学校の図書室では見かけないピカピカの本が本棚いっぱいに並んでいるではありませんか。
その後の英語教室の見学がどうだったかは全く覚えていませんが、母が申し込みを済ませたのでしょう。こうして、わたしは毎週土曜日の夕方、この英語教室に通うことになりました。
英語教室のレッスンは、毎回50分程度だったと思います。20代の綺麗な女性の先生が担任でした。生徒たちはヘッドフォンを着けてネイティブ・スピーカーの英語を聴き、後について言う練習しました。例えば、動物の絵を見ながら、”tiger”, “elephant”, “monkey”などの英語の単語を聴き、真似してリピートする訳です。
時々、アメリカ人の男性の先生が教室を訪れて授業をする日がありました。わたしはこの日が大嫌いでした。なぜなら分からない言葉で話しかけてきて、無理やり答えさせられるような感じがしたからです。わたしが後ろを向いて当てられないようにしていると、先生は回り込んで一生懸命に話しかけてきました。今考えると、なんて失礼な子供だったのかと思いますが、当時はわたしなりに必死でした。
この英語教室では、自宅練習用のテープも配布され(母が購入したのだと思いますが)、宿題もありました。なぜ宿題があったことを覚えているかというと、父から「この単語を発音してみろ」と言われても全く出来ず、よく怒られていた思い出があるからです。そういう訳で、宿題は真面目にしていなかったと思います。
では、授業中は頑張っていたかというと、よくサボっていました。この英語教室の日は早めに家を出て電車に乗り、本屋に行くのです。ただ、そこで本に読み耽り、授業が始まっているのに2階に行かないということが度々ありました。レッスンが始まる前に立ち読みしているわたしにクラスメイトが「先に上に行っとくね」と言って2階に上がるも、待てど暮らせどわたしがレッスンに来ないことがよくあったそうです。
こんなに不真面目でもこの英語教室には長く通いました。小学校4-5年生までは続けていたと思います。こんな風ですから英語が話せるようにはなりませんでしたが、幼少期にネイティブ・スピーカーの発音をたくさん聴いたのは後々役に立ったと思います。
英語教室ではやる気が起きない子供でしたが、この時期、ゴダイゴの『銀河鉄道999』の英語の歌詞を聴いて、英語ってカッコいいなとは思っていました。
The Galaxy Express 999
Will take you on a journey
A never ending journey
A journey to the stars
これが英語に興味を持った最初のきっかけでした。「いつかあんな発音で英語を話してみたいな」と思っていたことはとてもよく覚えています。しかし、なぜそれが英語教室で頑張るモチベーションに繋がらなかったのかは自分でも全くわかりません。
こうして小学校時代は、英語と初対面した程度で過ぎていきました。